「パクチーってさ、どうしてもカメムシの匂いがするんだよね」
長年そう言い続けてきた自分が、今この文章を書いているという事実がまずおかしい。パクチー――そう、あの葉っぱ。見た目はどこか涼しげで爽やかなのに、口に入れた瞬間に広がるあの強烈な香り。ずっと苦手だった。
でも、人間って慣れる生き物だ。いや、そういう次元じゃないかもしれない。
あれから、約一週間が経った。
きっかけは、「好きになるまで毎日パクチーを食べる」という半ば勢いまかせの自分への挑戦だった。初日は当然ながら辛かった。荒療治と思って直接食べる…口に入れるたびに「うっ」と眉間にしわが寄る。
二日目も同じ。三日目にいたっては「なんでこんなこと始めたんだろう」と小さな後悔すらよぎった。
だけど、ひたすら食べた。「うまい!」と声に出して食べてみた。
味覚は、脳と密接につながっているらしい。言葉にしたその「うまい」が、徐々に現実味を帯びていく感覚があった。
そして、1週間が経過した。
もう、あの香りを「嫌だ」と思わなくなっていた。
いや、むしろ「これがないとエスニックじゃない」と思っている自分がいる。信じられない。
もちろん、「大好き!」という域にはまだ達していない。
でも少なくとも、「不味い」とは思っていない。この変化は、たぶん“美味しく感じるようになった”というより、“身体が異物と判断しなくなった”に近い。
慣れ――というより、順応だ。人間の適応力は本当にすごい。
ふと考える。
これは「パクチーを好きになろう」と思って食べていたからなのか?
あるいは、エスニック料理に対しての自分の好意がそうさせているのか?
それともただの刷り込みか?いや、どれでもいい。今はもう、「避けたい食材」ではなくなっているんだから。
あんなに避けていたパクチーが、今や冷蔵庫にあるとちょっと安心する存在になっている。
そのうち、道端でカメムシの匂いがしたら「…パクチー?!」と反応してしまう日が来るかもしれない。
それはそれでちょっと怖いが、なんだか可笑しくて笑ってしまった。
この一週間、確実に自分の中で何かが変わった。
苦手を乗り越えるって、意志とか努力とかそんな堅苦しいものじゃないのかもしれない。
ただ、少しだけ続けてみること。それだけで、世界が違って見えることがある。
次は何に挑戦しようか。
ふとそんなことまで考えている自分がいる。
パクチー、ありがとう。
もう君のことは、嫌いじゃない。
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